季節を愛でる日本人の初物好き

かつおタタキは藁で焼くのが一番

江戸時代から垣間見える初物好き

(前回の社長ブログ 「ブームとブランドの違い」 の続きです)

 年の始の初競りにその年の最高値がでることは、ご祝儀としてよくあることです。しかし新年最初の市場の開業日に行われる「初競り」を「初物」と定義することは、ちょっと違っています。どちらも高値になるのですが、初物は辞書で引くと  「その季節に初めて収穫した野菜や果物、穀物、魚介類などを指す言葉」  とでてきます。

もともと日本の食文化は、季節を愛でて、季節をいただくことですので、いち早く季節を味わうことに大きな喜びを感じるのです。もう少し待てば盛りになり、味や値段も安定しますが、待つのは野暮。初物に手を出すのが粋の証とされました。その辺の話をもうすこし。

初物好きの江戸っ子が始まりか!?

 江戸っ子は、初物が大好きで、「初物を食えば75日長生きする」 といわれ熱狂しました。その代表が 「鰹 (かつお)」 で、その理由は 「勝負にかつうお」 と通じるといわれています。 

その熱狂を抑えるため、江戸初期の4代将軍家綱のころより、鰹の売り出し時期は4月と定められていましが、熱狂は収まらず 「女房・娘を質に置いても」 といわれるほどでした。 

かつおたたき

かつおたたき

その年の一番の鰹が魚河岸に入荷すると、まず将軍に納められ、その後市中に出回りました。

「目に青葉  山ほととぎす  初かつお」  素堂

 江戸時代の文人・大田南畝は、文化9年3月25日に入荷された鰹を、高級料理屋の八百善が2両1分づつで3本買い、歌舞伎役者の3代目中村歌右衛門は1本3両で買ったと書いてあるそうです。

 最も高いのは、文政6年に、高級料理屋の八百善が4両で仕入れたのが最高値だそうです。 

当時、掛けそば1杯が16文しました。これで計算すると、物価の上下もあったろうけど、1両は7万円から20万円するということになります。1両を、仮に現在の10万円とすると、鰹が40万円ですから、いかに高かったかがわかると思います。(最近見た映画 「殿、利息でござる!」 では、1両が30万円になっていました。)

 初物好きは鰹だけでありません。初ナス・初きゅうり・初きのこと、なんでも 「初」 がつくものは大好き。その季節の初物を競って買っていました。

そのため物価が狂いまくることもしばしばあり、なんせ初物はめちゃくちゃ高いのに、2・3日我慢したらガクっと値段が下がっちゃうのにもかかわらず、粋な江戸っ子はそういった幕府からの規制を出されるとさらに初物熱がヒートアップしたようです。

そんな頃の話です。

八百善 さんには「一両二分の茶漬け」の伝説があります。

 江戸末期の書物 「寛天見聞記」 に書かれています。八百善で (自宅でかんたんに食べられる) 茶漬けを出してくれ、と頼んだところ、半日あたりも待たされたそうです。ようやく出てきた茶漬けの味自体は良かったそうですが、帰るとき、「お代は一両二分 (現代なら12万円以上。もしかすると36万円?) 」 といわれてビックリ!

お茶漬け

お茶漬け

お茶漬け一杯で、ミシュラン三つ星の料亭なら芸妓さんを呼んで、そこそこのワイン飲めて散財できる金額です。お客はびっくり。当然、理由を尋ねました。

手軽に食べられるはずのお茶漬けだけど!?

お店側の説明では

「香の物は春には珍しい瓜と茄子を切り混ぜにしたもので、 (八百善が新島で促成栽培をしていたという記録があります)

 茶は玉露、米は越後の一粒選り、玉露に合わせる水はこの辺りのものはよくないので、

 早飛脚を仕立てて 玉川上水の取水口まで水を汲みに行かせました」

贅を尽くしたお茶漬けだからこそ高価だという説明に、 「さすが八百善」 客は納得してお金を払って帰ったとそうです。

一般的には、これを料理の作り手も数奇者、お客も数奇者ばかりで、八百善での一両二分の茶漬けは、いわば 「夢」 につけられたお値段というところでしょう。と説明が続きますが・・・・。

はたして、いま・・・・何人の人が納得してくれるのでしょうか。
熱い風呂に我慢して入るのが江戸っ子の粋とはいいますが、私には想像も付きません。でもそれを納得して何百年も美談として語り継がれてきているのが日本人の本質なのかもしれません。

 ちなみに「八百善」は、江戸元享保間創業で三百年以上にわたり、江戸料理の伝統を守り続けており、将軍も訪れたほどの店です。勝海舟も訪れています。また、開国を求めて来航したアメリカのペリー一行を幕府が饗応した時、料理を出したのが「八百善」でした。