たまごっち と 初競りまぐろ
(前回の社長ブログ「ずわいかにの初物が130万円!」の続きです)
今年は11月7日のズワイカニ漁の解禁初日に海があれ、高値を呼んでしまいました。しかしながら鳥取県の松葉ガニが去年より60万も高い130万円で入札されるなど、各県がタグを付けることによるブランド化戦略の結果ともいえますが、お客様に食べていただくために競り落とすのではなく、広告費の一環となっている現状はいかがなものなんでしょうか。
社会現象となったたまごっちブームを覚えていますか?
1996年11月23日にバンダイから発売された第1期たまごっちは、なにせ手に入りませんでした。入荷の情報を聞きつけた人々が徹夜で店に並ぶ様子が連日新聞やテレビで報道されました。持っていることがステータスとなり、忙しい人向けの 「たまごっち託児所」 なる預かり所まであらわれました。
50個のたまごっちの抽選販売に対して、抽選整理券が4000枚配られたり、ニッポン放送のラジオ番組のプレゼント告知に15万通の応募が殺到したり、ヤミで一個が数万円で取引され、手に入れるため売春行為まで行なう若者が現れるなど社会問題にまでなりました。
しかし、数か月後にはブームが沈静化。それまでに経験したことがない大ブームに大増産を行ったバンダイは、すぐに売り切れるはずが、あてが外れ、まったく売れず不良在庫の山を抱えてしまいました。在庫保管費などが経営を圧迫し、1999年3月にはメーカー在庫の250万個を処分しなければならなくなるほど経営が悪化してしまいました。ついにバンダイは不良在庫の処分により60億円の特別損失を計上し、最終的に45億円の大赤字となってしまいました。
大ヒットしたにもかかわらず、一歩間違えば潰れてしまうかもしれない状況に陥ったのです。なぜ在庫の山になったのか、顧客は複数店舗に予約しており実際の需要は予約件数よりずっと少なかったのです。
需要と供給のバランスを見誤った究極の例と言えるでしょう。
どこか似ていると思いませんか。
マグロの初せりに勝ったのはだれでしょうか?
2013年至上最高値の1億5540万円で落札したのは 「すしざんまい」 さんでしたが、これといつも競り合っていたライバルは、中国香港に本社をもつすしチェーン 「板前寿司」 を展開する株式会社 板前寿司ジャパンでした。単独あるいは高級すし店 「銀座久兵衛」 さんとの共同落札でした。
「板前寿司」 がマグロの初セリを最高値で競り落とすようになったのはなぜだったのでしょう。
代表はリッキー・チェン氏。日本に魅せられたのは高校一年生のころ。同級生の父親が日本料理の調理師学校を創ったので興味を持ち、1986年、19歳で来日。寿司職人にあこがれ日本の寿司店で修行し、いつか世界中でリーズナブルな本格的寿司を食べてもらうという夢を持っていたそうです。
1989年、香港に戻り、日本への旅行ツアーガイドなどをして資金を貯め、1992年に日本風のクレープ屋チェーンを香港で展開して成功し、熊本のご当地ラーメンを香港でチェーン展開して成功。それを機に寿司ビジネスに参入するため、再び来日したのですが、封建的な 「河岸社会」 は外国人を受け入れてくれませんでした。ここまではよくある話です。
しかし、海産物ビジネスを手がける中村桂 氏(現板前寿司ジャパン社長)と出会い、水産業界とのパイプを確立。香港、やがて東京に 「板前寿司」 を開店します。しかし、「中国人が経営する寿司チェーン店」、「香港から逆輸入された寿し」 と風評が広がります。
そこで、起死回生の策が、「初セリでのマグロ最高値競り落とし」だったのです。マスコミに取り上げてもらうことで、知名度が上がり、国産本マグロを使っていることも知ってもらえます。「板前寿司」 は一夜にして行列のできる人気店になったのです。
至上最高値が出た後、「板前寿司ジャパン」が最高値狙いから手を引きました。中村桂社長は 「意地の張り合いになっていて、市場を混乱させた責任も感じていました。僕たちが引かないと終わらないと思った」という。「これでよかった。ホッとしてる」
「すしざんまい」の木村社長も 「妥当なかたちになってよかった」 と話していましたが、次元はそこではなく、そもそも 「板前寿司」 はマグロを競り落とすことではなく、他に狙いがあったということなのです。
日本中の市場関係者、飲食店がそれに乗ってしまいました。初競りの競い合いを楽しんでいた我々も、それを煽り立てたマスコミもやられてしまいました。お見事の一言ですね。