十割蕎麦。多くの職人がその試みにチャレンジしてきました。その魅力と歴史について語ることは、日本の伝統的な食文化への敬意を表すことです。料亭や高級レストランのシェフ、調理師の皆さんにとって、十割蕎麦は単なる料理ではなく、食の芸術形式ともいえるでしょう。
十割蕎麦の特徴
十割蕎麦は、蕎麦粉のみで作られた蕎麦です。これが他の蕎麦と大きく異なる点です。多くの蕎麦が小麦粉を加えて弾力を出しているのに対し、十割蕎麦は蕎麦粉だけを使用し、そのために独特の風味と食感を持っています。蕎麦本来の香りや味わいが強く、しっかりとした喉越しを楽しめます。
歴史的背景
まずは蕎麦の歴史からお話いたします。高知県内で9000年以上前の遺跡からソバの花粉が見つかり、さいたま市ある3000年前の遺跡からきは「そばの種子」が見つかっています。
日本は瑞穂の国と言われていますが食べ物としての米より先に蕎麦があり「白い花の咲く国」だったのかもしれません。
文字に書かれた「そば」が最初に出てくるのは、続日本紀で当初は薬用として利用され、食用としては、そばの粒をそのまま粥にしていたものらしく、16世紀過ぎにはそば粉を湯でこねた「そばがき」が現れます。
そば切り、つまり麺としての十割そば(「生粉(きこ)打ちの蕎麦」とも言います)が出たのはその後のことで、江戸時代の17世紀から18世紀頃には、そば粉に“つなぎ”としての小麦粉を混ぜるそばの製法が始まりました。
1643年発刊の「料理物語」には、そば切りの製法と食べ方を初めてくわしく記述されていて、江戸中期にはそばの専門書といわれる「蕎麦全書」には現代のグルメ本・ガイド本のようにソバの産地や有名ソバやそば粉のこと、そばの作り方や茹で上げたそばの扱い、そばつゆの作り方や薬味について、さらには江戸市中のそば屋の屋号や有名店の消息、粉屋などが書かれています。
特筆すべきは、
「予按ずるに、当時多く至極細きを佳なりとす。しかし是等の類は、真のそば好とは云がたし。(略)」
(昨今そばのすごく細切りのそばをよしとする風潮があるが、これらは本当のそば好きとはいいがたい。また、極太の蕎麦を好む人もいるが、いずれも本当の蕎麦ではない。蕎麦には細すぎず、太すぎず、自然な蕎麦の太さというものがある。(略))と蕎麦の太さの問題が記されています。
その中でも十割蕎麦は、蕎麦文化の中でも特に「純粋さ」を重んじるスタイルとして、一部の蕎麦愛好家や専門家から高く評価されています。
江戸時代より論争の的、十割と二八
十割蕎麦と二八蕎麦、本当はどちらの方が美味しいの?
と、いまにいたるまで十割と二八のどちらが美味しいのかの論争が盛んに行われています。
十割そばのおいしさ、魅力は、
そば本来の美味しさがダイレクトに感じられること。
もともとくっつきにくい粉ですので、口に含んだ時には麺の表面に、そば粉の粒子の「ザラザラした舌触り」を感じ、歯を軽く当てると麺が、「ぷっつり」と切れ、その切れた部分から、そば粉の粒子が砕けて拡散し、味と香りが、「ふわっと」口中に広がり鼻から「すっと」軽やかに抜けて、蕎麦粉本来の味と風味が口内に広がります。
舌に触れる粒子のつぶつぶ感と、歯を当てたときのモチモチ感。そして、あっけなく切れる、儚(はかな)さを感じさせる食感。そこから味と香りの波紋が口中に広がり、鼻腔の奥深くにまで到達する。二八そばには真似のできない、ある意味、そばの宇宙が出現する壮大な世界です。
二八そばの魅力
「二八蕎麦」は、現在では蕎麦粉8に、小麦粉2を混ぜた粉で打った蕎麦のことを指します。
しかし江戸期には蕎麦の値段が一杯16文だった時代に、2×8=16に掛けた言葉で「二八」は値段を意味していたとも言われています。
この比率で打ったそばは、麺にしなやかさが加わり、食感がなめらかになるため、つるりと喉を滑り落ちます。 これこそがそばの食感だと、二八そば派は主張します。
多くの蕎麦屋さんが作るのは二八そばです。
その理由は、滑らかな食感を出したいということもありますが、小麦粉を入れて作ると、打ってから時間が経過しても、そばが切れにくいということが大きな要素になります。小麦粉に含まれているグルテンが、時間がたってもそばを切れにくくしてくれるのです。
風味にこだわって切れやすいそばになるよりも、食感の魅力に重点をシフトして、そこをお客さんに楽しんでもらうという選択も、合理的な考え方です。
食感は、そばの魅力の重要な柱となるものですから、決して間違った方法ではありません。
「二八そばのおいしさ」は、細く長くつながった食感に、最大の魅力があります。 ですから、この食感が大好きな二八そば派が、「ブツブツ短く切れたそばは、そばじゃない」と言いたくなるのも、わからないではありません。
しかし、そばの魅力は、「つるりとした食感」にしかないわけではないのです。 十割そばならではの、豊かな香りと味。そして、はらりと切れて、風味が口中に広がる至福の感覚。これは「細く長くつながって切れないそば」には、真似のできない世界なのです。切れるからこそ、こうしたおいしさが生まれます。
料理屋さんで十割そばを提供しょうとすると「そばが切れて、お客さんから苦情が来るかも」との心配をよく聞きますが、最近のお客さんは食に関して多くの知識を持っていますので、十割そばが切れやすいのは十分承知しております。
『つなぎを入れない十割そばですので、その香りと食感をお楽しみください』と一言添えてあげてください。
「十割そばの魅力は、切れるところにある!」とさえ言えるのです。
結論から書かせて頂くと、それぞれの味わいには大きく違いがあり、一重に甲乙をつけられません。 二八蕎麦は、小麦粉を使用しているので喉越しがよく、つるりとした食感を楽しめます。 十割蕎麦は、蕎麦粉本来の味と風味が口内に広がります。
料理技術の重要性
十割蕎麦の調理は非常に繊細です。蕎麦粉と水の比率、練る強さ、茹で時間など、細部にわたって技術が求められます。これらの技術は、長年の経験と知識が必要とされ、伝統を重んじる料亭や高級レストランにとって重要な要素です。
知識の継承と啓蒙
今日、食の多様化が進む中で、伝統的な食材や技術が失われつつあるという懸念があります。特に、十割蕎麦のような特殊な料理は、その製法や文化的背景を理解し、守り続けることが重要です。シェフや調理師の皆さんには、これらの知識を次世代に伝え、日本の食文化を継承する役割があります。
その手打ちでしか表現できない十割蕎麦を業務用商品として提供するという試みは、まさに食の世界における壮大な挑戦でした。その道のりは、伝統と革新の間での葛藤と発見の連続であったのです。
十割蕎麦は、その繊細さゆえに、熟練の職人の手技がなければ、腰の弱さとバサバサとした食感に終わってしまうことが多かったのです。時間が経つと切れやすくなり、最も重要な蕎麦本来の香りもすぐに飛んでしまうという問題を抱えていました。小麦粉を加えた蕎麦はツルツルとしてシコシコとした食感が特徴ですが、十割蕎麦はその表面のザラつきと噛みしめたときのぷつりと切れる感触が、まさにその独自性を物語っていたのです。
多くの乗り越えるべき壁
蕎麦粉の品質:十割蕎麦の風味は蕎麦粉に大きく依存します。良質な蕎麦粉を選び、新鮮さを保つことが重要です。
水加減と練り方:蕎麦粉と水の比率が重要です。適切な水加減で練り、手早く均一に仕上げる技術が求められます。
茹で方:茹で時間は蕎麦の品質に大きく影響します。過茹でや未熟を避け、理想的な食感を実現することが必要です。
温度管理:蕎麦は温度変化に敏感です。提供する温度(冷たい、温かい)に応じて、調理方法を調整する必要があります。
その手打ちでしか表現できない十割蕎麦を業務用商品として提供するという試みは、まさに食の世界における壮大な挑戦でした。その道のりは、伝統と革新の間での葛藤と発見の連続であったのです。
十割蕎麦の業務用商品化への道
この道は日本の深い食文化とその歴史に根ざした壮大な旅でした。この豊かな歴史の背景に立ち、十割蕎麦の業務用商品化に取り組むにあたり、料理技術の重要性が強く認識されました。十割蕎麦の製造は、蕎麦粉と水の比率、練り方、そして茹で方に至るまで、熟練の技術と深い知識が必要とされています。これらの技術は、長い年月をかけて磨かれてきたものであり、伝統を尊重しながらも、現代の技術と融合させることが求められました。
私たちは、十割蕎麦の独特の食感と、何よりも蕎麦の香りを極限まで引き出すため、古来からの石臼を使うことを決意しました。石臼でじっくりと挽かれた蕎麦粉は、熱を加えずに仕上げられるため、蕎麦本来の風味を余すことなく引き出すことができるのです。
さらに、小麦粉を使わず、時間の経過に耐え、冷凍保存にも適応できるよう、蕎麦粉メーカーと協力し、独自のブレンドを開発しました。
この新しい十割蕎麦は、口に入れた瞬間に広がる独特のなめらかさと、崩壊感を楽しむことができます。それは、まるで口の中で優雅に踊るような、忘れがたい食体験を提供します。そしてそれは、伝統を守りつつも、常に新しい味わいを求める私たちの情熱の結晶なのです。
このように、十割蕎麦の業務用商品化は、単なる製品開発を超え、日本の食文化の新たな一面を切り開く試みとなりました。伝統的な蕎麦の風味を損なうことなく、現代の食の需要に応えることができる、まさに食の革新といえるでしょう。
十割蕎麦は、単なる食材を超えた文化的な象徴です。その味わい、香り、そして作り手の技術が、日本の食文化の深さを伝える貴重な手段であり、私たちの責任は、これを未来に繋げていくことにあります。皆さんの手で、この素晴らしい伝統を次世代にも伝えていきましょう。
美味しさの秘密:なぜ十割で美味しく、かつ冷凍できるのか
秘密の中でも最大の秘密は、そば粉のブレンドにあります。
そば粉とは、単に収穫された「そばの実」を全部粉にしたものだけではありません。
そば粉は、そばの実を製粉する事により大きく分けると6種類に区分されます。
「玄挽き」した黒粉
ソバの実が黒い殻に包まれたままの状態で石臼に入れて製粉することを言います。こうして作ると、黒みがかった麺になります。
丸抜き(まるぬき)の甘皮粉
ソバの実の黒い殻をむいて、中身を取り出した状態を言います。鮮度の良い丸抜きは、緑色を帯びています。これを石臼に入れて製粉し、上手にそばにすると、淡い緑色の麺になります。これには、「一番粉」と「二・三番粉」があります。
更科(さらしな)粉
ソバの実の中心部分にあるデンプンの部分を選んだものです。これで打つと、色の白い麺ができます。
粗挽き(あらびき)粉
丸ヌキそばの実(玄そば)を製粉するとき、そば粉の粒子を粗く挽いたそば粉で打った麺です。そばを作る作業としては、かなり難しい仕事になります。見た目で粉の粒子がわかるくらい、表面がザラザラした麺になります。
6、細かい粉の花粉
製粉するときに、粉の粒子を、特に細かく挽いたそば粉で打った麺です。麺のつながりは良くなります。細切りにしても、切れにくいそばになります。見た目は、小麦粉のつなぎを入れた麺に似ていますが、香りも味も強く出ます。
実際には、この6つの要素が複雑に組み合わさって、さらに多くの種類の麺が作られることになります。たとえば、玄挽きのそば粉を粗挽きにして、それではつながりにくいので、細かく製粉した粉も混ぜて、そばに仕上げるなど、そば職人は、工夫して、イメージした麺を作るのです。
単純に、「ソバの実を石臼で製粉したそのままの状態で打ったものが十割そば」という話ではありません。
今回みなさまに提供できる十割そばは、この6種類の粉を微妙にブレンドして作り上げました。美味しいと感じるそばを作るには、非常に多くの工夫を積み重ねる必要があるのです。
茹で方の秘密
十割そばは二八そばに比べて確かに切れやすいのですが、家庭の台所でもちょっとしたコツしだいで美味しく召し上がることができます。普段の料理のようにちょっとした気遣い、心遣いにより余分に切れることを防ぐことができます。その方法をお教えいたします。
① たっぷりのお湯をチンチンに沸騰させてください
蕎麦屋さんの茹で釜のように50cm強の大釜を使えば、時間も早く、切れることなく茹で上がります。そば三人前ならば最低でも3L以上の水を沸かすことをお勧めします。
多くの麺を茹でると急激に温度が下がり、湯の中で麺がうまく踊らず、固まったり切れたりする要因となります。
② 冷凍のそばをお湯の中に投入してください。
③ 再沸騰しましたら、蕎麦の塊を優しく菜箸で左右に泳がすようにゆらゆら、ゆ~っ~くりと3~4度麺を動かしたあとは、そのままにしておきます。
④ 麺が釜の中で踊るようになり、茹で上がれば、優しく受けザルで取出し、ヌメリを取り冷水で締めてください。
締める水はできるだけ良い水をお勧めします。
⑤ 粗熱でボウルの中の水がぬるくなりますので、何度か水を入れ替えながら洗うと早く冷やすことが出来ます。
しっかり冷すことでコシが生まれます。温かいお蕎麦の場合も一度しっかりと冷やしてから湯煎をするとおいしくお召し上がりいただけます。
茹でたり、洗ったりする段階にも、そばが切れる原因があります。
・そばを湯に入れてから、すぐに菜箸などでいじると、まだアルファ化していない麺が切れてしまいます。
・茹でたそばを鍋の湯の中からあげるとき、すくい網などで、何度も掻き回すと、その段階で切れてしまいます。箸ですくうなど危険すぎます。
・流水で洗うとき、乱暴に扱うと切れてしまいます。
お心当たりがあるでしょうか?
次に提供する時には、以下の点にも気をつけましょう。
最近のお客様は料理の最後の食事でも、香の物でもデザートでも手を抜かれることを嫌います。
最近の料理の流れとして最後の食事に、冷たいそばにカラスミをお客様の目の前で削ったり、炊き込みご飯を何種類も用意してお客様に選んでもらったり、御飯のお供に多くの種類を提供する傾向にあるのはその流れだと思います。最初の山場(やまば)の刺し身や椀物も確かに重要な要素ですが、最後の一品だからこそ、記憶に残る料理を提供いただければ幸いです。
お勧めの召し上がり方
① 最初は、そばつゆをつけずに、麺だけを味わってください
麺に比べて、汁は、とても強い味です。麺につけたら、そばそのものの味は、わからなくなってしまいます。まずは、数本、麺だけを味わって、畑からここまで旅してきたそばの、自然のおいしさを感じてください。
これで感動できるそばこそ、本物のそばといえます。
② 汁をつけるときは、汁半分、麺半分
汁の濃さにもよりますが、どっぷり汁に沈めてしまうと、そばの味がわからなくなります。
汁がついていない部分では、そばそのものの味を感じとり、汁がついた部分では、そばと汁のハーモニーを楽しむ。口の中に、そばと汁が奏でる、おいしさの和音が響きわたります。
*そばの専門店が増えたとはいえ金沢の方は、たっぷりとそばにそばつゆをつけることを好みます。まだまだそばを食べること関しては後進県といえます。そのため金沢での開業には、自社の味に慣れてもらう最初の段階としてそばつゆは薄めに仕上げることをお勧めいたします。