能登の海女さんとのホットライン
株式会社松本では、メーカー様、飲食店様の新商品開発をお手伝いさせていただいております。
~ 松本社長の新商品開発ストーリー ~
シリーズ2回目は、「能登の海女さんを訪ねて」です。
懇意にさせていただいている能登・輪島の海女さんがいます。その人のところを訪ねました。
輪島の海女漁の始まりは古く、350年以上もの歴史があるといわれ、海女の数も日本一を誇ります。最近ネットの世界では18才の美しすぎる海女ちゃんが話題に上ったりしています。
輪島の北の沖合いにある舳倉島や七つ島の海域は、暖流と寒流がぶつかり合う日本有数の好漁場で、これらの離島では7月~9月にかけて200名以上の海女が、さざえ、あわび、海藻などを素潜りで採っています。海女の手で採られたさざえやあわびはとても質がよく、江戸時代には加賀藩主・前田利家公にも献上されたと伝えられています。
海女採りの数々が金沢に送られてきます
松本がこの海女さんから譲っていただくのは、サザエやもずく ・ 岩モズク ・ ワカメ などの海藻などで輪島の周辺で海女採りされるものです。それらは生であったり、あるいは加工をほどこして料理屋さんやホテルさんへ卸させていただいています。残念ながらアワビは限られたとこだけに卸されるそうです。
今日訪ねた海女さんは、漁には旦那さんと2人、ご夫婦で海に出ます。ご主人の本業は、底引き漁の漁師さんで、夏の時期は禁漁になるので、この時期だけ奥様と一緒に素潜り漁の手伝いをされています。「一番の仕事は船の運転だ」 と笑って言っていましたが、一番は奥さんの安全確認だと思います。私が訪ねた時は、漁のあとに黙々と岩モズクの下処理をしているご主人を見てしまいました。
岩もずくは文字通り岩にくっついて成長するもずくの近種でモズクよりコリコリ・シャキシャキした食感が楽しめます。能登のもずくがきめが細かく細いので絹もずくといわれるのに対し、一般に流通する岩もずくはそれよりもかなり太いので別名で太もずくともいわれています。
この太さがコリコリ・シャキシャキとした食感はいいけれども、絹もずくに比べてヌメリが少なく舌触りがなめらかでないので、私どもにとってはかなりの不満でした。しかしこの海女採りもずくは、コリコリ・シャキシャキした食感がありながら、細く、舌触りもよく、いままでの私達の不満を払拭する素晴らしいものでした。
市場には多くは出回らなくても日本には素晴らしい食材が眠っていることを実感した出来事でした。彼女たちは、夏の時期の短い期間だけ素潜り漁をします。限られた期間で、限られた量のみを採ることで、自然と共存しているのです。
輪島の朝市のお母さんから干物も送られてきます
その海女さんたちを紹介してくれたのは、いつも一夜干の干物を作ってくれている朝市のお母さんで、今回たずねて行って初めてわかったのですが、お母さんの隣のうちが海女さんの家でした。それは仲がいいはずですよね。
この干物を作ってくれているお母さんとは長年のお付き合いです。
一番最初の出会いは10年前に遡るでしょうか。輪島出身で金沢へ料理の修業に来ていた若い子が修行の年季も開け輪島に帰ることになりました。そこで 「君も輪島で育ってきているのだから、一番美味い干物を作る人を紹介してくれないか。」 と頼んで紹介していただいたのが初めでした。
人との出会いがあり、そこから新しい出会いがあり、どんどん、どんどんとご縁が広がっていきます。すべての人との出会いに感謝です。
この干物は一つひとつ手作業で、ご自宅の軒先で海風に吹かせて一夜干をする昔からのスタイルです。干すのに乾燥機など使いません。作り方も、たて塩製法で作られます。この製法は全国各地で、伝統的干物の作り方として伝えられていますが、塩汁の管理が難しいことと、味付けのタイミングが微妙なため、手間ひまと職人技が必要となり大量生産する業者には向かないのです。
輪島の干物の美味しさの秘密は、朝市のお母さんだからできる仕事なのです。
こちらは、松本の店頭でもネットでもお買い求めいただくことができます。
熱心な調理長さんは製造の現場を視察します
今回、一緒に輪島を訪れたのは、金沢のトップ・ホテルの調理長です。
金沢の料理を作る以上、その作る現場を知らなければいけないということと、そこで提供する朝食に輪島の前の海で取れた魚で作った干物が欲しいとの依頼を受けたものでした。
株式会社松本では、ホテルのシェフや料亭の料理人と一緒に能登に出かけ、こういった場所を訪ねます。実際に採っているところや作っているところを見ていただきながら、料理創作のイメージを膨らませてもらうためです。
帰りには、伝統的な輪島塗からフレンチや中華料理でも使える漆器を作っている輪島塗の朴木地屋(ほおきじや)さんの 桐本木工所で木材の加工から木地仕上げ、そして漆作業を行う工程を見せていただき、奥様から、桐本として日常生活に溶け込む漆器や家具を提案している過程を教えていただきました。
*木地屋とは、木地の風合いをそのまま生かした器やお椀などを作る職人を集めたところです。
その後、奥能登ウェルカムプロジェクト・彩食紀行として始まり、いまや地域ブランドとして定着した 「 能登丼 」 の開発、普及の中心人物の金七聖子さんを訪ねました。彼女は奥能登の酒蔵の松波酒造の若女将ですが、仕事を投げ打って (?) 能登の浮上に尽力しています。これがなんと不思議なことに私の友達なんですよね。縁とは不思議ですね。
ここで試飲したのは、もちろんメインの大江山。そして能登リキュールとして売り出し中の彼女の持ち山で育ったユズのお酒 (松波ゆず子)、柿のお酒 (松波柿蔵)、梅のお酒 ( 松波うめ花)、能登深層水で育てたトマトのお酒 (松波とま登)、これもまた能登の普及のために作った地域野菜の沢野牛蒡を使った牛蒡のお酒 (沢野ごん坊)でした。
彼女が一連のシリーズを作り始めた経緯から、海外に出荷するまでを詳細に語っていただきました。
この短い旅の出会いを通して、調理長は奥能登の懐の深さや食材を見つめ直す機会を得て、彼の作る料理にすぐにでも反映されることとでしょう。
新メニューを生み出すためのお手伝い、これも株式会社松本の仕事なのです。