金沢のセリ・リバイバルプラン 私考

金沢・諸江地区のセリ畑 金沢・諸江地区のセリ畑

農家プロジェクトは、石川県内の農家と当社が深くつながり、そして農家と当社のお客様をつなごうというものです。

浜本さん、レポートありがとうございます。
 

~ 農家プロジェクト:金沢のセリ ~

 レポートを受けての、未来展望・金沢のセリ の物語です。

金沢の庶民にとって年末年始の必需品だつたセリの出荷量が減り、たった三軒の農家。実質的には一軒しか作っていないというのはショッキングな話でした。加賀野菜のセリの未来を考えた時、金沢を離れ大きく迂回して、その未来を考えたいと思います。特別レポートをお読みください。

■ 農家とニチレイの取り組みを深堀

農家の一番の悩みは、相場の変動です。農産品に必ずある悩みです。「豊作貧乏」という言葉があるくらいで、野菜が余ると値段は下がります。しかし出来た分をすべて出荷してしまうとさらに供給過多となり、ますます値段が下がってしまいます。

その為、作物を収穫せず畑に放置し肥やしにしたり、無断で川や海に廃棄し北陸版の新聞をにぎあわせることもありました。農家にすれば出荷してもダンボール代にもならない為、その気持ちだけは大いにわかります。

それをクリアーする取り組みとして、貯蔵施設で蓄えながら出荷をして平準化することで、こうした問題を軽減できるのではないかという試みがかってありました。

その取り組みとして、ニチレイフーズと千葉県の農業法人のテンアップファームが組み、2007年に「ベジポート」という事業組合を設立しました。そして2009年からは千葉県旭市で野菜を低温貯蔵し、加工する設備をそなえた大規模施設の運営を開始しましたが、2016年に稼働から7年間で一度も利益を出すことができず、ニチレイは事業を停止しました。

同社では、テンアップファームが契約する千葉県北東部の80軒の農家で収穫されたトマトとニンジン、ホウレンソウを集荷し、生鮮野菜および加工品として取引先へ販売する事を目的としていました。
つまり「農産物をムダなく使い切る」をコンセプトにして、流通コストの削減と、より新鮮な農産物を提供し、規格外のサイズ品はジュースやピューレなどに加工して100%使い切る計画でした。

その流れはテンアップファームが契約農家から集荷した野菜をベジポートに納め、つぎに社内の独自規格に則して生鮮品として出荷するものと、加工に用いるものとに分けて選別する。そして、生鮮品はさらに取引先の指定する規格に順じて出荷します。主な取引先は大手量販店、外食企業、ニチレイの加工工場です。

ルールとして農家とベジポートの間で「いくらでどれだけ買うか」を契約し、売り先との間で「何をいくらで売るか」を契約する。施設はあくまでハードであり、ソフトである契約を軌道に乗せることが肝心でした。それに成功すれば、「相場の変動」から免れることができるはずでした。

具体的には農産物は「基準価格」で「全量」を農家から買い取る。だから農家も市場の動向に左右されることなく安心して農産物をつくれる。また全量を基準価格で買い取ることで農家の「収入の安定化」を図ることができるはずでした。

■ 理想と現実の狭間で揺れ動く農家

破綻の一番の理由は、農家が契約通りに野菜を出荷してくれなかったからだといいます。 金沢でも加賀野菜がやっと東京で認知されるようになると、それまで加工用として買い取の約束をしていた金時草を農家が契約通りに納品することを渋り、高値になっていた市場に流すという事も起こっていました。

契約を守らなかった農家は従来の慣行から抜けられなかったのです。もともと農家は毎日毎日の相場に生きる人たちです。特に野菜農家の多くは、豊凶と相場の変動にさらされながら、値段のいい時に一気に稼ぐというやり方で長年の家計を成り立たせてきました。その時流に乗って、かつては「ニンジン御殿」や「スイカ御殿」という言葉があった位です。

その原因は天候不順にあります。そのせいで収穫量が減れば、需要と供給の関係で値段が上がります。一説ではバランスの取れた需要と供給の関係から20%の供給が止まれば倍の値段になるともいいます。だからベジポートのやり方の「契約価格」での販売ではなく、もっと高値で売れる先へと流すのが当然だと考えるのだと思います。

テンアップファームが「そろそろ出荷してほしいんですけど」と頼むと、農家は「おれたちも食べていきたいんだ」と答えたそうです。

しかし時代は変わりました。国内になくても海外からふんだんに野菜が入るようになり、値段には恒常的に下方圧力がかかるようになりました。もう二度と濡れ手に粟のような「〇〇御殿」が作れることは決してないのです。

だからこそ売り手と買い手が利益を分け合う均衡点をさぐるための契約栽培が必要になるのですが、農家の多くが古い発想から抜けきることができず、自ら自分の未来を閉ざしているのです。

未来の扉を開くには、既成概念から離れ、新しいことにチャレンジする「少しばかりの勇気」が必要なのです。

■ いま仙台では街中に「セリ鍋」のポスターが溢れています

ここで話は宮城県の仙台に飛びます。
年々、生産量が落ちていく諸江のセリに対して、仙台セリはここ10年で「セリ鍋」がブームとなり、仙台の街をちょっと歩けば、「セリ鍋あります」「セリしゃぶ始めました!」的な看板が多く見られます。

ブームも加熱してきてコンビニのローソンでも販売している位で、宮城県産のセリ供給が追いつかない状況です。これが宮城県から石川県に代わっても何の不思議もありません。 セリは古くから鍋物に用いられてきました。特に肉の臭みを消す効果があるので、鴨鍋や牡丹鍋など肉を使った鍋には欠かせないものとされてきました。

山形の庄内にいつも予約が取れないイタリアン・レストラン「アル・ケッチァーノ」があります。ここには世界中から三ッ星レストランのシェフがここの料理を食べに、勉強をしに大挙して訪れています。

シェフの奥田政行氏に「名取にすごいセリがある!」と言わしめたのは、仙台市の南の名取市のセリ農家・三浦隆弘さんの育てたセリです。
ここのセリを口に入れた瞬間、シャキシャキという歯ざわりと、さわやかな香りが口いっぱいに広がります。そしてセリの根っこに行くにしたがって甘みが出てくるのです。「世の中にはこんなに美味しい野菜があったんだ」という感動を味わえるといいます。

■ たった一人の農家と飲食店とのコラボから始まった

仙台セリ鍋が広まったのは、三浦さんと、仙台駅近くの割烹料理店「いな穂」の稲辺勲さんが「新たな仙台名物」と開発に取り組んだのがきっかけだそうです。

2003年、三浦さんの結婚式の二次会の厨房で稲辺さんが腕をふるっていたのが出会いで、翌4年、2人で試行錯誤しながら生み出したのが「セリ鍋」でした。鍋に鴨肉のだしを張り、そこへ生のセリをくぐらせて味わう。セリが主役の鍋料理です。これは行政や関係団体はかかわっていない、草の根からじわじわと湧きあがったムーブメントです。

■ 大事なのは、そのルーツです

「私たちが大事にしているのはルーツです。仙台名物に笹かまぼこや牛タンがありますが、原材料まですべて仙台ならではのものは多くありません。震災以降、県外から多くの方に支援で来ていただくなか、『この地域ならではのもので迎えたい』というみんなの思いに、「せりしゃぶ」がうまくはまったのだと思います」と三浦さんは答えます。

稲辺勲さんは、「地元の農産物を応援したい。店では安心できる素材を使いたい」と、三浦さん同様熱く語ります。

根っこから葉の先まで、食べない部分はありません。お皿にこんもり山となったセリの緑色が、目にみずみずしく映ります。 セリを口に含めばシャキシャキっとした歯ごたえと香り、そしてだし汁の味わいが、口の中に広がり、鼻をくすぐります。
いな穂を訪れるお客さんの一人は「セリはいつも脇役だと思ってきた。セリしゃぶを食べるまで、主役になれるなんてイメージできなかった」と感嘆の声を上げるそうです。

初めて食べたお客さんの反応のほとんどは感動と驚きです。
2004年の冬からセリしゃぶをメニューにしていますが、毎年冬になると店にやってくるセリしゃぶの常連さんまでいるといいます。

だし汁はカツオと昆布、鴨肉を使って深みのある味わいに仕上がっています。日々のセリの下ごしらえも、ブラシを使い、根の泥をきれいに落とすのに根気のいる作業がいります。セリの準備に手間暇がかかるため、一日に提供できるセリしゃぶの数量は限られ、なかでもおいしい時期は、1年で最も寒い季節の2月、3月といいます。

■ セリ・リバイバルプラン

ここで金沢のセリの話に戻ります。これら仙台のセリに比べて金沢のセリは、10月から4月まで栽培が可能で古くから諸江地区で作られ、お正月の雑煮や七草がゆには欠かせない食材として珍重されていました。

しかし加賀野菜と認定されてから今日までにその耕作地は87%も減り、首都圏での調査では金沢の「セリ」を知っていて食べたことのある人は2%弱、金沢でも50%弱の結果となっています。 すなわちいつ消えてなくなってしまうかわからない状況に陥っているのです。

ですが当社のお客様である料亭や和食の料理人への聞き取り調査によれば、その実力は他府県の物に比べると味も香りも強い。

茎が細く、見た目もキレイ

茎が細く、見た目もキレイ

しかも茎の太いものに比べると諸江のセリは細いがために見た目も綺麗で盛り付けしやすい。との評価を受けています。 ですので、かつては冬の加賀料理の治部煮の鴨肉や能登牛を使った小鍋などにもよく使われてきました。

しかし近年では収穫量が安定して通年販売している金時草にその座を追われるようになり、鍋料理でさえセリの代わりに三つ葉や小松菜・クレソンに取って代わられるようになってしまいました。

当社の調査によれば一番の理由として挙げられるのは、収穫量が一定でないこと。鮮度の劣化が激しく、年末年始は別にして値の変動の上下が大きいことが上げられます。 値付けに関しては、他府県に比べれば1束で100円程度の差があります。

この差をどう見るかですが、収穫量がすくないから、手間がかかるからなどと断言してしまうのでは未来はありません。レストランなどの業務用としては他府県並みの値段ならば、もともと加賀野菜として地産地消をアピールもできる「石川の冬のメニュー」としてぜひ使いたいのが地元の飲食店の本音です。

金沢せり鍋、イノシシと

金沢せり鍋。イノシシと

金沢セリ(あえて金沢の名を付けたほうが良いと考えます。)の味・香・姿の実力からして仙台で起きたここ10年の奇跡が、そのムーブメントが金沢で起きない訳がないと考えます。 ましてジビエ料理としてイノシシの肉を能登シシと命名してアピールしているいま、この二つをセットにして告知・拡販すれば相乗効果が得られるのではないでしょうか。

確かに官としては一農業法人を支援するのにははばかられるでしょうが、こと石川県で大きく力を入れている加賀野菜でもあり、全国にアピールできる味・香り・姿を持つこのセリをこのまま金沢だけの地に埋もれさせるにはあまりにももったいないと考えます。

手間ひまをかけた根っこの水洗い

手間ひまをかけた根っこの水洗い

但し農家の方にとっても名取市の三浦さんのように協力飲食店を見つけ、朝採りのセリを配送する。あるいはホテルの朝食の定番とするように働きかける。あるいは信頼できる流通業者(例えば八百屋さん)などと協力するなどの企業努力を惜しまないことが必要条件となります。 その努力が多くの人を巻き込み、ムーブメントとなっていくに違いありません。

一旦、手間のかかる直売に流したとしても、本来の金沢のセリの持つ評価が県内外の飲食店や食べられたお客様からいただけるようになれば、販売量も拡大し、その販売コストも減少し、採算も合うようになっていくと考えます。

オーベルジュ・緑草音

1月の献立にセリ鍋が登場

蛇足ですが、当社のお客様に全国で和洋のレストランを400店舗経営する企業で、もしこなれた値段が実現するならばぜひ使ってみたいとの声もいただいております。 金沢のセリを後世に残すためにも、関係各位のご助力をお願いいたします。