深遠なる食文化:消えゆくスイゼンジノリの軌跡

日本で唯一生育する川でスイゼンジノリを採取しています。

日本で唯一生育する川でスイゼンジノリを採取しています。

日本料理に使われる食材が多く消えつつあります。

最近は、サンマを代表に海水温の上昇や海流の変化、乱獲のために収穫量が極端に減って来ているものが多くあります。またノロウイルスによる貝類の減少や、最も深刻なのは、過度の農薬の使用により、世界中の農作物の3分の1を受粉しているミツバチの数が減少しているために、将来の農作物の減少が不安視されています。

今回は、失われつつある食材 「スイゼンジノリ」 を取り上げます。

自然の恵みがいつまで続くのか・・・・

かつては、といってもつい40年前までは茶懐石の向付(刺身)のあしらえとして独特な風味と食感が珍重されました。そのため宴会の料理にも使われるほど広がっていましたが、いまはその存在を知っている調理師も数えるほどになってしまいました。

水前寺のりの出来上がり状態

水前寺のりの出来上がり状態

刺身や酢の物のあしらい(添え物)として岩茸や莫大(バクダイ)と同じように、必ず料理に使われていた乾燥品の「スイゼンジノリ」は、はるか5億年前から地球に酸素を供給してきた原始的藻類・川のりで 「川茸」 ともいいます。
(ここでは、商品として出来上がったものを「スイゼンジノリ」、その原料を「川茸」と表記します。)

黄金川から水前寺のりを集めます。

黄金川から水前寺のりを集めます。

自然の微妙なバランスが生む

その語源である熊本県のスイゼンジノリは国の天然記念物ですが、すでに絶滅してしまい、今では日本で唯一、湧水を源とする福岡県・朝倉市(旧・甘木市)の黄金川にしか自生していない幻の食材となってしまいました。(レッドリスト絶滅危惧1A類に指定されています。)

まず男衆が大きな異物を取り除きます。

まず男衆が大きな異物を取り除きます。

黄金川は、地下水が源流でわずか2キロの筑後川の支流へと注ぐ短い川です。スイゼンジノリは2~3cmになると水中を漂い出し、スイゼンジノリが流れていかないように植えられた石菖(せきしょう)という水草の葉に絡みます。のり採りは石菖にひつつかったのりを網ですくって集めるのです。

そして女の人が手作業で異物を取り除きます。

そして女の人が手作業で異物を取り除きます。クラウドファンディングから https://camp-fire.jp/projects/view/286716

その採取の始まりは約250年前、黄金川の流れの中に青紫色の苔が発見されて、これを秋月黒田藩が幕府への献上品として長年送くることにより、全国に高級食材として珍重されるようになり、藩の財政を支えたことから、古くは東川と呼ばれた川が「黄金川」と名前を変えるようになったそうです。

『献上品につき、誰も川に入って、川茸や魚を捕ってはならない』 といった御触れの石碑も残っていて、この川の環境を汚されないようにしながら、代々受け継がれてきたのです。

水洗いのあと水切りをします。

水洗いのあと水切りをします。

水が綺麗ならば、必ず成長するわけでもありません。
その秘密は、上流にある阿蘇山が20万年前に大噴火した際に降り積もった火山灰層が河川周辺の地下に形成されたことにあります。その火山灰層を潜り抜けた湧水が鉄とカルシウムを主体としたミネラル分を豊富に含み、成長を促していると推測されるのです。

生の状態なら、酢の物でも刺し身のあしらいにも使います。

生の状態なら、酢の物でも刺し身のあしらいにも使います

一年前と、十年前、そして百年前とでは環境は刻々と変わってきました。特に近年は急速な環境変化が起きていますが、この地では自然界の微妙なバランスの上で、川茸が何とか綱渡りをして生きている状態なのです。

スイゼンジノリの料理法

使い方は非常に簡単です。
乾燥されたスイゼンジノリは、好みの形に切って、一時間ほど水に漬け込み、厚さが3mmから5mm位に戻し、刺身や椀物に添えたり、白和え、酢の物、佃煮にしたりします。
独特の舌触りと暗緑色や藍色の色合いが茶懐石に合ったものと思われます。

生の水前寺のり。塩水漬けです。

生の水前寺のり。塩水漬けです。

またスイゼンジノリは乾燥品ばかりでなく、生食用として塩水漬にしたあと、川の水で洗い薄く塩を残し生食用として「川茸」と名前を変えて出荷されます。
塩漬けにすることによって黒から鮮やかな緑になるのです。そして生はつるっとしたのどごしで、もちもちした独特の食感になっています。
これが乾燥のスイゼンジノリが黒く、生の川茸が緑色の理由です。

この川茸は、使用時に塩抜きをして鮮やかな緑色をいかした椀種や酢の物として使われます。

加減酢を掛けてで付き出しにも。

加減酢を掛けてで付き出しにも。

茶懐石には欠かせないはずなのに・・・

しかし年々『黄金川』の水量が減少し、その影響で収穫量もピークの1/10以下となってしまいました。
現在はポンプによる水の汲み上げで川の水量をなんとか維持していますが、供給量が減ることにより、料理に使いたいときに物がないため料理に使われる機会も減り、当然売り上げも減少し、悪循環に包まれています。

朝もやに煙る黄金川

朝もやに煙る黄金川

苦渋の選択を救ったのは地域の力

現在、唯一生産販売している創業1793年の遠藤金川堂のクラウドファンデングの趣旨書からは、悲痛な叫びと喜びが聞こえてきます。

収穫量が1/10になり当然売り上げも1/10となり会社の経営状況が厳しくなり、一旦とはいえ苦渋の決断を下すこととなりました。長年共に『川茸』の伝統を守り、愛してきてくれた従業員全員の解雇でした。

海苔を作るように作ります。

板海苔を作るように作ります。クラウドファンディング https://camp-fire.jp/projects/view/286716から

販売促進や製品開発への投資を控えてでも彼らの雇用を守ろうとしてきましたが、実現することはできませんでした。

見えた光明は『地域住民』の方々からの熱い応援でした。
創業時から250年の間、『川茸』の伝統を守ってきた我々が『廃業の危機』に瀕している。 この状況について地元のテレビ局や新聞などで取り上げられた事がキッカケとなり、『黄金川・川茸を守る会』が地域住民の方々の有志で結成されました。

彼らのご尽力もあり、市や県からポンプによる水の汲み上げ費用等の一部をご支援いただけることになりました。 しかし、公的機関からの支援に頼り続けるわけにはいきません。今こそこれまで抑制してきた販売促進や製品開発活動に取り組み、経営状況の改善につなげていきたいと考えています。(十七代目、遠藤氏 談)

すべてを人の手で行う、250年間変わらない風景

川から収穫された川茸は、地下水が流れる工場で人の手によって汚れや葉、小さな川茸などを一つ一つ分別します。

機械ではなく手作業ですることにしているのは、川茸を傷めないためです。小さな川茸は、また黄金川に戻して成長を待ちます。これぞ江戸時代の昔から続く「SDGs(持続可能な開発目標)」です。

水の中に手足を入れて作業する職人は、「腰は辛いけれど、それよりも生き物がたくさんいる好きな川で仕事できるのが嬉しい」 と童心に返ったように笑います。
洗い終わった川茸は塩に5時間漬け込み、その後水でさらします。

日本の田舎の原風景が広がります。

日本の田舎の原風景が広がります。

これを乾燥させるのですが、その方法は独特でまず藻を細かくすりつぶして、昭和初期につくられた「城島瓦」を使って塗り、陰干しにします。

昭和初期につくられた「城島瓦」

昭和初期につくられた「城島瓦」

水分が少なくなったら、はがし板に貼って乾燥させ、一枚一枚磨くと、普段料理屋で見られた黒くて固い水仙寺のリが出来上がります。

乾燥させて完成させます。

乾燥させて完成させます。

一人の職人が1日で20枚弱しか作ることができません。しかも機械化がまったくできず、人の手だけが生み出す貴重品なのです。

新しい需要を生む

2008年には、北陸先端大学が水前寺のりから「サクラン」という物質を抽出することに成功しました。サクランとは、川茸から3%ほどしか採れない新物質の多糖類で、ヒアルロン酸の数倍の保湿作用があるとされ、1グラムで水6000ccを吸水する保水力を持つため、お肌の保湿に適しています。

抗菌性も高く、高知大学の研究では、サクランがアトピー性皮膚炎の予防と治療に有効であることが確認されており、今後は臨床試験を経て医薬品としての開発が期待されています。

川茸は環境保全のバロメーター

「川茸」を守る事は、黄金川の環境保全にもつながります。
『黄金川』は水質が非常に良く、地域の子ども達の遊び場にもなっている朝倉市の原風景です。

クラウドファンディングから https://camp-fire.jp/projects/view/286716

クラウドファンディングhttps://camp-fire.jp/projects/view/286716から

私達は「川茸」の生産・販売を通じて、これらの活動を継続したいとおもいます。「川茸」、「黄金川」は朝倉市のみならず日本の財産、宝物です。つまり川茸の存在は、日本の食文化の多様性と深さを示す一例であり、その保護は我々すべての責任です。川茸とその生息地を守ることで、我々は日本の食文化の一部を守ることができます。また、川茸の存在を記録し、その重要性を後世に伝えることで、我々は日本の食文化の継承に貢献することができるのです。