ニシンの大群が沿岸に押し寄せて海が白く染まる「群来(くき)」という現象が今春、北海道の日本海沿岸各地で確認されています。ニシンの激減で戦後見られなくなり、「幻の白い海」とも呼ばれていましたが、「日本海ニシン資源増大プロジェクト」による放流事業などが実って近年は、北海道の春の風物詩として復活しつつあります。
留萌の海が白くなる原因
海が白くなるのは、沖合を回遊していたニシンのメスが産卵のため卵を沿岸部の浅瀬に生える海藻に産み付け、オスが一斉に精液を出すために海が乳白色になるのです。
このコーヒーにクリームを注いだ時の様に、青い海が白く濁る現象を「群れが来る」と書いて「群来」と呼びます。
江差町では2017年に104年ぶりとなる「群来」を確認されたのが復活の第一弾でした。以後、3年ごとに発生していて今回は3回目となります。ニシンの本格的な復活までは、もう少しなのかもしれません。
1957(昭和32)年ニシン漁途絶える
明治・大正期の水揚げ最盛期には、「(網を)ひと起こし千両万両」と呼ばれ、明治36年(1903年)には、留萌沖だけで75万3000トンのニシンが水揚げされましたが、その後乱獲などの影響といわれていますが、昭和の初期から漁獲量が減り続け、1950年代以降はほとんど捕れなくなり、昭和32年には北海道全域のニシン漁は終焉を迎えました。
資源が枯渇してしまったのでは、という見方が「常識」でした。事実、私の代になって40年以上経ちますが、その姿は見たことがありませんでした。
しかしニシンの育苗放流と漁獲管理の両面からの保護により、1999年(平成11年)留萌の海岸で45年ぶりに群来が確認され、2009(平成21)年以降、群来が見られるようになりました。
近年、このニシンの水揚げ量が石狩市や小樽市、余市町、積丹半島など北海道西部の日本海沿岸で、じわじわと上がっているのです。
北海道全体でのニシンの水揚げ量は年間で1万トン近くまで回復してきています。1万トンと言ってもピンと来ない人が多いと思います。明治の最盛期には、最大で年間100万トン近くまであったわけで、今はその1%足らずの規模でしかないのです。
今年はわずかながら、北海道産を提供
さて今年留萌で取れたニシンは1200トン超と言われています。
2023年12月8日現在、留萌で取れたニシンの水揚げ量のデータは、以下の2つの引用から得たものです。
留萌水産物加工協同組合のホームページ
北海道新聞の記事
留萌水産物加工協同組合のホームページでは、2023年12月8日現在のニシンの水揚げ量を、1,300トンと公表しています。
北海道新聞の記事では、2023年12月8日現在のニシンの水揚げ量を、1,200~1,300トンと報じています。
なお、留萌市役所のホームページでも、2023年12月8日現在のニシンの水揚げ量を、1,200~1,300トンと公表しています。
さてそこで問題です。
その中の成熟したメスの腹の中の卵巣から数の子に加工されるのは何キロでしょうか?
ニシンのすべてがメスではなく、成熟したもっと少ないですが、仮にすべてが数の子となる卵巣を持っていたとして、体重の約10%が卵巣(卵)だというのが一般的です。
これは、10kgのニシンであれば、約1.0kgの卵が得られることを意味します。
そして卵が数の子に加工される際の重量減少については、加工過程で水分が減少し、塩分が添加されるため、最終的な数の子の重量は元の卵の重量よりも軽くなり、一般的に、数の子の重量は元の卵の重量の約50%~70%になると考えられています。したがって、1.0kgの卵からは、少なくても約0.5kgの数の子が得られる可能性があります。
となると1200トン✕0.1✕0.5=60トンの数の子が製造できる可能性があり、その中で極上品となるものは1割あるかないか、おそらくないと思います。数が限られているのです。
来年のおせちにの数の子は北海道産が食べれることを期待しています。
数年前までは料亭で使われる数の子は太平洋沿岸のカナダ産を第一とし、次に太平洋沿岸のアラスカ産、最後に大西洋・シェットランド産とランクが付けられていたのは、ニシンが卵を昆布や海藻に植え付ける太平洋産と岩場や砂浜に産み付け自然に浮遊させる大西洋産との卵自体の粘着力の差で、太平洋の方が海流に流されないようにしっかりと付着させる結果、コリコリした食感になるためでした。
北海道産しかなかった時代、食通で知られる北大路魯山人は「数の子は塩漬けや生よりも、一旦干した物を水で戻したものが美味い、数の子に他の味を染込ませてはならない」と書き、また「数の子は(ポリポリとした)音を食うもの」とも言い残しています。
この北海道産の数の子を食べて初めてこの「ポリポリ」の意味がわかりました。
ぜんぜん食感が違います。