食通の間では金沢にいったら絶対にはずせない店として金沢の犀川河畔の 「雅乃」 は有名である。
ここの主人の下平 氏は、ミュシュランで星をもらっている京都・祇園の 「真舌」 さんで修行ののち金沢へ帰り、なんと26歳で「日本料理・銭屋」の調理長に抜擢されました。
そしてすぐに若手NO1といわれ12年間銭屋の板場を守りとおし、独立してからも20年以上たちますが、その技には円熟味がまし、京料理とも加賀料理ともいえない彼独特の優しい世界を作り出しています。
その顧客は金沢だけに留まらず、日本中からこの店の味を主人の人柄を求めて、隠れ家的な存在であるこの店の暖簾をくぐっていきます。ここの料理は 「人の人格が料理となってに現れる」 の典型なのです。
若い時は自分自身にも若手の指導にも厳しく当り、感情に流されることもあったはずだし、自分もその場を見てきていますが、彼の育てた弟子のすべてが、それぞれが一国一城の主となった今でも、彼をしたって寄ってくるところを多く目にしてきました。
怒っていた時、いえ、叱っていた時の彼らの間は、他人が絶対に立ち入ることを許さない世界であり、結界であり、傍目には厳しく見えても、その中ではふつふつと湧き上がる料理への情熱が、そして道を究めようとする 「同じ道を歩くであろう同士への愛情」 が伝承されていたのであろうと推測されます。
料理人に限らず職人の世界には何年たとうが、1度つないだその絆は一生切れることなく、再び相見まえれば、その関係は蘇るものらしいと聞いています。しかし会社関係の上下しか知らない一般の人間にとっては、信じられない、とってもうらやましい関係です。
彼とは30年近い付き合いになり、その子供たちとも一緒に旅行にいったりと家族同然の付き合いをさせてもらっています。 が、しかし実は彼は私のことが嫌いだったらしいのです。まだ私も20代で仕事を覚えたばかりで生意気だったと、振り返れば自分でも赤面する思いですが、いまだに自分と付き合ってくれる彼に、この場を借りて感謝したいと思います。
彼に俺もいまは、少しは丸くなっただろうと聞きたいところですが、おそらく 「のぶさんの体は丸くなったが、性格はまだまだ角ばかり!トゲばかり」 だと言うんだろうナ~。
彼は独立してからは、雑誌であろうがテレビであろうが取材自体を好みません。
そこには先代と女将と彼が共に育ててきた銭屋への遠慮もあるのでしょうか。
あるいは、取材を通した既成概念を持たずに、実際に素の状態で店に来ていただいて、その場の空気を感じて料理を召し上がっいただかないかぎりわからない世界がそこにあると考えているのでしょうか。推測するしかありません。
私の知っている限り、唯一取材を受けたのは、銭屋の創業から、また彼の調理長時代に銭屋を支えてくれた名随筆家の森須滋郎 氏が初代編集長でした 「四季の味」 のただ一回です。それもオープンのお祝いだからと無理やり、いゃ精一杯の誠意に応えるためだった、と記憶しています。
その意味で、今回の料理の撮影も彼の好むところではなかったと思いますが、私と娘が初めて二人っきりで食事をした記念として許しを得たものです。よってコメントなどの注釈はなるべく付けずに雰囲気を感じて欲しいと願うばかりです。
8月13日 夜
雅乃
〒920-0975 石川県金沢市中川除町67−1
076-262-8026
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