Monthly Archives: 9月 2015

とっておき金沢

のどぐろ一夜干が『金澤・別冊 とっておき金澤 5月号』に紹介されました。

『金澤・別冊 とっておき金澤』 5月号

のど黒一夜干が紹介されました。

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2011年5月号から抜粋です。

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丁寧な仕上げで凝縮された旨み

「地元で人気の地産地消グルメと手土産」と、金澤・別冊 とっておき金澤5月号で紹介されました。

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金沢を始め全国の料亭に食材を卸す『松本』は近江町市場に店があり、質の高い珍しいものを取り揃える。
いしるにさっと漬け込み、伝統の立て塩製法で一夜干しにしたのど黒が人気。
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☆ のどぐろ一夜干し 中型 ☆
ちょっとだけゴージャスな晩餐に・・・
のど黒一夜干 中型 はこちらから →

 

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☆ 特大 のど黒一夜干し ☆
自分へのごほうび、贈り物にはこちら♪
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☆ 徳用 のど黒一夜干 ☆
いっぱい食べたいときや、朝食にばっちり♪
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コンパスに掲載されました

社内ブログのタブレット・スマホ活用 が紹介されました。 COMPASS 2015.春

㈱松本の社内ブログのタブレット・スマホ活用が紹介されました。

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中小企業のIT経営マガジン 「COMPASS」に、
人材育成に力を入れる会社として、紹介されました。

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<食材提案ができる人材を増やす!蓄積したノウハウをタブレットで活用>
 多彩な食文化が育まれ、食に対する意識が高い加賀百万石の城下町・金沢。
舌の肥えた人々を満足させる料亭・飲食店や旅館が集まる金沢を支える食材卸会社が、金沢の台所・近江町市場に社屋を構える松本である。

 「商売は人に依存します。商品知識も営業力も。自分だけが知っている知識をどう社員に伝えて人材のレベルを上げるかを考えてきました。」
 松本では、毎日のように食材の勉強会や営業のロールプレイを行っており、
その際の社長の商品説明を担当者が社内用のブログ(Wordpress)に登録する。
食材名、季節、行事などのキーワードを指定して、あとで検索しやすいようにしてある。
客先でタブレットからこのサイトを開き、顧客が求める食材をその場で検索し、内容を参照するスタイル。
画面の拡大縮小が容易なので、調理例の写真を臨場感を持って伝えられる。
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「いかにお客様とコミュニケーションを図っていくかを考える上で、ビジュアルはインパクトが大きい」と社長は言う。

 「ITがなかったらビジネスは進みません。絶対必要。そして、社員が働いているときに楽しくなかったら会社は良くなりません。そのために『勉強せえよ』と言っていますと言う社長は、人材育成の取り組みに手ごたえを感じている。

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くちこ

くちこ(干口子)が紹介されました。台湾テレビ 2014.3.14

おいしい店のくちこ(干口子)が紹介されました。

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台湾のテレビに
くちこ(干口子) が紹介されました。

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金沢での正式名称は、「干したくちこ」と、いう意味で、干口子(ひぐちこ)と呼ばれますが、一般には「くちこ」として知られています。
ナマコは夏深い海の底で夏の間、昼眠をしていて水温が低くなるとだんだんと岸によって来ます。そして寒さが激しくなればなるほど活発に動き回り美味しくなっていきます。 そして田畑が雪で閉ざされ時、ナマコの玉子 (卵巣) が海からの恵み 「くちこ」 (干口子)と名前を変え極上の珍味として私達に贈られるのです。
海の恵みを保存するのに古来より塩の力が用いられ、この最も原始的な保存方法と、寒さに耐えて作り上げる職人の手間が最も美味い珍味を作り上げてくれたのです。
オレンジ色の、くちこをサッと火を加えて口に入れれば、甘ささえ感じる、えもいわれぬ美味しさが広がります。
今回は、白身魚の刺身でくちこ(干口子)を巻いて撮影しました。

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海からの贈り物!一度食べたらクセになる「くちこ(干口子)」のお取り寄せ!!
くちこ(干口子)  (2枚入)
詳しくはこちらへ →

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加賀料理の逸品。炭火焼で楽しみたい。。。
くちこ(干口子)・特大  (1枚入)
詳しくはこちらへ →

刺身盛り合わせ

創業の精神・スピリットを伝え続ける つば甚

ビップルームの月の間

庶民からも愛された料亭

 江戸時代の文献を調べていた時、ちょうど金沢城と寺町台にあるこの料理屋の反対側にすんでいる職人が、ここで食事をした後、フラフラと月明かりの中を金沢城を迂回して彼の住まいまで帰ったという日記を見つけたことがあります。

食事代は現代のお金でなんと五万円。年に何回かの仲間内の会合だったと記憶していますが、平生の食事はご飯と味噌汁と目刺だけという質素なものでした。
また、うろ覚えながらその時、調べた幾つかの献立にはふかひれや燕の巣などの高級珍味もすでに使われていた記憶があります。

■ 歴史のなぞは蔵の中にあり

 奥の細道で有名な松尾芭蕉も訪れて句会を催したといわれている 「つば甚」 の創業は宝暦二年 (1752年)。 代々加賀百万石・前田家のお抱え鍔師であった三代目甚兵衛が営んだ小亭、塩梅屋(あんばいや) 「つば屋」 が始まりとされています。

ひな祭りにちなんで

玄関には、ひな祭りの飾りつけ。金沢は旧暦にちなんで4月3日まで飾ります

初めのお客は友人知人ではありましたが、商いを始めるや、藩主はもとより藩内の重臣、文人、墨客も訪れ、明治の元勲・伊藤博文など各時代の主役達が訪れた料亭です。

この店には古くからの献立帖が蔵の中に残っており、整理することが出来れば多くの知られざる歴史のなぞがわかることででしょう。

■ 三四半世紀(75年)を超えるつながり

 私どもとこの店の付き合いは、うちの先代とつば甚さんの先代のときからですでに70年を過ぎています。調理長の代を坂のぼれば、現在の調理長 ・ 川村 氏 → 鈴木 氏 → 荒木 氏 → 岡島 氏 → 前田 氏 → 湊屋 氏 と6代にわたってお世話になっています。

この日のお楽しみは、ルビーロマンのワイン

この日のお楽しみは、 ルビーロマンのワイン ほのかに赤い色が付いているのが見えます

今の川村氏 は入社しすでに28年を超えていますが、初めて調理場に入ったときから積極的、自発的、ポジテブで明るく、光っていたのを覚えています。長きに渡り多くの調理人を見てきましたが、どんな業態、業種の店に入って修行をしようが、上に立つべき人は、若い時から明るく、素直で、みなに好かれるという多くの共通点があるものです。

■ 風土・空気・人がつば甚の人を育てる

 親を見て子は育つといいますが、ここの調理場のスタッフはみな素直でまじめな子が揃っています。調理長の性格が、その弟子に当たるスタッフに移るのはよくよくあることですが、この店が途中入社をあまり取らないことから、新人はその白衣と同じように真っ白な状態で入ってくるため、親方の色に染めやすい。ということもあるのではないでしょうか。

九谷焼のボトルに入っています

九谷焼の紅いボトルに入っています。ルビーロマンはこの年、一房100万円の値がつきました。

途中入社を認めないというのは、中堅が厚くなければ出来ないことですが、調理場の運営を考えれば一番良い方法で、260年続いている店の歴史に基づく味が不断なく続いていくことになります。また全国から修行に来るものも多く、やる気のあるものが必然的に集まり、なまけ癖のあるものや労働をお金に変えようとするものは、ひとりでにはじかれ、切磋琢磨する空気をかもし出す、そんな調理場になっています。

ここには一癖も二癖もあるものは一時もいられないのです。一から育て上げる子飼いの社員の良いとこは、会社思いであることは間違いなく、調理長の腕と統率力が必要となります。オーナーとしては、このバランスが難しく、全国の多くの店の中でもバランスを欠いているところもときどき見受けられます。

前菜と付き出し

前菜と付き出し:器の上にかけてあるのは女将が手作りで季節の花を描いてあります

 多くの調理師にとって自分の店を持つのが夢といいますが、その働く店にとっては味を引き継いでいる調理長がずっと向上心を持ち精進してくれたほうが1番良く、食べに来るお客さんにとってもいつでも水準以上の料理を楽しめる事となります。
かたや調理長にとっても自分の力だけでは到達できないステージの上で、多くのお客様の笑顔と共に腕を振るえるのですから調理長と店とが協力して更なる高みを目指すべきです。

■ 常に満足してくれたかと自分に問いかける

 さて彼の料理は10年ほど前から肩の力が抜け円熟味を増してきました。私たちと話をしていても、まず最初に彼が語ることは、「今日のお客さんは満足してくれただろうか?」 という言葉で、彼のお客様目線が他人にも見えるようになってきました。

前菜の盛り込み

前菜の盛込み:厚焼玉子・数の子粕漬・きんかんイクラ・本カラスミ・イカ黄身焼き・葉わさび 等

 かつて彼の若い頃、店の朝礼で 大女将に 「給料は誰からもらっているの?」  と問われた時に、自信を持って 「今日みえられたお客様からいただいたお金が僕たちの給料になるんです」 って言ったら 「バカもの」 って言われたそうです。

「このお金は、まだおまえ達の物にはならないんだよ。このお客様が次来た時に、初めて今日のお金がやっとあなた達の物になるんです。このお金はまだ預かり金です。それまでに、また来てくれる様な努力をしなければいけません。店を続けて行く事は、こういう事です」 と、教えられたそうです。

 調理技術を若い子に教えるのはもちろん、何世代にも渡ってつば甚で培われてきた精神・スピリットを伝えていくのも彼の仕事でしょう。彼のオーソドックスでけれんみのない料理は、どこに出しても恥ずかしくなく、金沢を代表する料理に仕上がっています。

     さあ、もう語るのはやめて、素直な心でいただきましょう!

付き出し

付き出し:トラフグと鉄皮。ポンズジュレで

芸子さんの踊り

芸子さんの踊りで宴が始まります

椀物

椀物

椀物

椀物

刺身

刺身:甘海老・ヒラメ・イカ・たぐり湯葉

鰤塩焼き・能登娘(大根)

鰤塩焼:紫の大根おろし(能登娘)にレモンを絞れば大根はたちまちピンク色に変色します。遊び心です。

蒸し物

蒸し物

はす蒸し

はす蒸し:日本一の加賀れんこんを使います。モチモチです。

強肴:竹の子付け焼き

強肴・竹の子付け焼:柔らかい新竹の子は春の香りが強く、生命が体に入っていく感じです。

おひとつどうぞ

おひとつどうぞ。これぞ金沢の料亭の楽しみの一つ

酢の物:アワビ酒蒸し、ホタルイカ

酢の物:アワビ酒蒸し、ホタルイカ、黄身酢を添えて

竹筒に入れたおこわと止椀

竹筒に入れて、蒸したおこわと止椀

水菓子

水菓子:天に乗っているのは五郎島金時のチップです。食感の変化を楽しみます。

接客さんは大忙しです

接客さんは大忙し。いつも笑顔を忘れずにありがとう。

2月21日 夜
  つば甚
〒921-8033 石川県金沢市寺町5−1−8
         076-241-2181

加能かに刺身

考察・加賀料理

美しく、加賀料理・加能登カニ盛り込み

作り変える力

 新幹線が開通して多くの人が金沢の食を楽しみにこの地を訪れ、近江町市場では朝の7時にはすし屋さんの前に行列ができるようになりました。

金沢の食の懐は奥深く、例えばB級グルメの金沢カレー、金沢おでん、ハントンライス、どじょうの蒲焼・唐揚などといえどもその源流は加賀料理そのものにあり、その特徴を継承しています。

金沢B級グルメ・どじょう唐揚

金沢B級グルメ・どじょう唐揚

その特徴とは、当初から金沢にないものでも、外からの刺激により自分の世界に繰り込み、新しいものに 「作り変える力」 が強烈に機能することでしょう。

芥川龍之介の小説 「神神の微笑」(1922年) は、秀逸な日本文化論になっていますが、この中で日本の力は、「破壊する力」 ではなく、「造り変える力」 だと芥川は書いています。そして、その 「造り変える力」 は、ここ金沢において顕著にあらわれていると考えています。

 例えば、日本人の国民食ともいえるカレーは、源流のインドのどこを探してもない純日本食です。特にビーフカレーはインド人にとっては天につばを吐く料理といえます。インドでは牛は神聖な神の使いですから、それを食べるなんて考えられない話なのです。それがビーフカレーではなく、カツカレーであったとしてもインド人に尋ねれば 「これはどこの国の料理ですか?」 と、問われることは間違いありません。

 日本人はインド料理のカレーを純日本食のカレーに作り変えてしまいました。そしてこんどはそのカレーをどろりと濃厚で濃い色のルー、特別な食器類などで別次元のものに作り変えたのが金沢カレーなのです。
芥川龍之介はこれを 「造り変える力」 と名づけましたが、ことは食の事ですので私は 「作り変える力」 として表現したいと思います。

■ ひとくちに加賀料理とは何か?

 「日本料理の基本である懐石に金沢の食材、特性、風土、気候を加味したもの」 と答えるのが一番簡単なのでしょうが、実はもっと複雑で、加賀料理のルーツは白鳳時代から石川の地が日本の表玄関であったことに起因しているのではないか。と考えています。

今でこそ、大都市というのは太平洋側に集中してしまい、明治以降は日本海側はさびしい限りですが、昔は違いました。江戸時代には金沢は百万石の加賀前田藩の首都であり、江戸・大阪・京都に次ぐ日本で四番目の大都会でした。私が小学校の社会の授業では、太平洋側を 「表日本」 、日本海側を 「裏日本」 と習ったのを記憶していますが、その昔は日本海側が 「表日本」 でした。

加賀れんこんを使ったセンベイ

加賀れんこんを使ったセンベイ

中国や朝鮮の文化は、地理的に近い日本海側から入ってきて全国に伝えられました。能登半島の発掘調査の記録をみると、明らかに縄文時代に外国の文化が入ってきたのが分かるそうです。

 日本海側を表玄関として日本海文化が花開き、京都へも伝えられました。京都は、都で日本の中心的な存在でしたから、すべてのものが集まってきました。また逆に京都から全国に、もの・情報が発信されました。全国の物産・珍味のみならず、外国の文化も伝わりました。この京の都と交流のあったことが後々おおいに金沢の 「食」 に影響を与えていきます。

■ 遣唐使よりも濃厚な渤海との交流から

 あまり知られていませんが古代の高句麗からも、新羅からも、時代がさがって渤海からも使者がやってきました。石川県は、今の横浜、神戸のような海の玄関口だったのです。そして、異人館もあり、外国人たちも住んでいたようです。

中国大陸の隋や唐に遣隋使、遣唐使の使節を送ったのは有名ですが、同時代の奈良時代から平安時代にかけて中国東北部 (満洲から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて) に渤海という国があり相互の交易があったのは東アジアにとって、日本にとって重要な歴史的事実です。

加賀れんこんを使ったはす蒸し

加賀れんこんを使ったはす蒸し

 渤海は、日本に34回 (西暦727年から200年間、北陸地方に21回、内能登3回,加賀地方4回、諸説あり) も使節を送ってきました。遣唐使の平均23年に1回と比べて、渤海師は平均5~6年に1回の割合となり、日本も、親善使節や渤海使を送って行く送使として15回も使節を派遣して親善を深めました。

 渤海との交流を通して,いろいろなものや情報が大陸から日本に伝えられました。
海を往復した頻度や相互交流の濃密さなら遣唐使よりもこの渤海使の方が世界への外交チャンネルとしても文化的チャンネルとしても数倍も濃厚であり、太い関係でした。

北陸地方では、渤海からもたらされる文化や品物を直接見聞きすることが出来ました。その為、密貿易をしようと試みる人が出てきて政府から禁止されるほどでした。すべての法律がそうであるように禁止されるということは、盛んに行われた証拠にもなるのです。

渤海使の帰りは、いつも必ず石川県の富来町の福良津 (現在の福浦港と比定される) を使うように決められ、渤海使のための迎賓館 (能登客院と日本後紀に記載) もありました。当然ながら、そこには大陸の文化、食文化も輸出入されていて、彼らの歓送迎のため、両方の食材と調理法が混ざり合った新しい味での「宴」も行われただろうことは想像に難くありません。

 そして金沢で料理文化が独自に発達したエポック・メーキングは、なんといっても加賀藩主・前田家の存在でした。加賀藩は文化振興政策をとっており、工芸や茶の湯などの文化の庇護に努め、多様な文化を成熟させました。

戦後に加賀料理という言葉が生まれ、そのまま定着したのも江戸時代から続く確固たる独自性があったため、世間にすんなりと認められたのでしょう。

■ 加賀料理には、大きな特徴が三つあります

① 海の幸、山の幸に恵まれた地

 地政学的に日本海に飛び出した石川県は、海と山とに囲まれています。海は寒流と暖流がぶつかりあう多い好漁場で新鮮な魚介類が容易に手に入り、霊峰・白山の伏流水は豊富に加賀平野に流れ込み米や野菜が豊富にとれる恵まれた土壌のため、上流階級も庶民もその恩恵にあずかることができました。
伏流水とか地下水は水が美味しいという事で、酒造りの絶対条件であると同時に料理の進歩にもかかせない条件でした。

 しかし良く似た条件の地域は他にも多くあるのに、なぜ金沢だけが加賀料理へと進化したのでしょうか?
疑問が残りますね。 その答えは順を追って説明いたします。

鴨肉の羽盛り

鴨肉の羽盛り

② 海からやってきたさまざまな交易品や文化の歴史

 近世以前の大量輸送手段は海の道だけに限られ、海を伝ってさまざまな交流が行われました。

古くは前述の大陸からの風であり、江戸時代には北海道や樺太から北前船で数の子、身欠きニシン、干しナマコ、昆布、棒鱈、九州・瀬戸内からの物産も届けられ、海からやってきた交易品や文化は、日本中から海上輸送の中心の金沢に集まり、石川の食に多大な影響を与えました。

③ 武家文化と宮廷文化の融合

 その特長のひとつが豪快さです。ひと昔前の金沢の割烹店でしたら、刺身のひとつでも活きのいいところを分厚く切り、器にざっくりと盛付け味わせたものでした。さすがに料亭では粋に盛付けますが、どこかでその豪快さがあらわれてきます。

その点は、食材の持ち味を活かし、食材互いの長所を取り入れ短所を補う 「採長補短」 を以って、最良の味を創ることを第一としている大阪料理と同じなのですが、持っているバックボーンが違いました。

能登の珍味・くちこ、鮎とともに炭火焼で

能登の珍味・くちこ、鮎とともに炭火焼で

それが宮廷料理から進化した京料理に続いて、加賀料理が日本料理の二大スタイルとなった違いなのではないでしょうか。

 藩祖前田利家は主君である豊臣秀吉の影響を受けて京風の文化を取り入れ、千利休ら多くの茶人たちとも親交を深めました。そして江戸時代に入ると、前田家は徳川家と姻戚関係となり、江戸発信の成熟した武家文化をも吸収しました。また皇室ともつながり修学院離宮、桂離宮の造営にかかわるなど、武家文化、宮廷文化とも混ざり合い、徐々に独自性を増していったと推測されます。

 そして南蛮文化(南蛮料理)との接点もあるのです。
大鯛の唐蒸し・つば甚 様提供

大鯛の唐蒸し・つば甚 様提供

 例えば、加賀料理の中でも代表的で豪快なのが 「鯛の唐蒸し」 です。背開きにした鯛にギンナンや百合根などの具入りのおからを詰めて蒸したこの料理は、味が濃く京風懐石とも違った趣ながら豪快で鯛自体の味が生きています。

鯛の唐蒸しの由来は長崎から加賀藩に伝えられた南蛮料理という説があり、丸のままの素材に詰め物をして熱を加えるという調理法は、伝統的な日本料理には見られないもので、呼び名の唐蒸しというのもまた意味深です。

治部煮・つば甚 様提供

治部煮・つば甚 様提供

 この料理と並んで有名な 「治部煮」 は、高山右近ら加賀のキリシタンが、宣教師から教わった南蛮の料理をヒントに考案したものと言われています。鴨肉と野菜、そして金沢独特のすだれ麸が使われており、繊細なダシのうまみと食材自体のおいしさが調和した逸品です。まさに加賀料理の長所を表現しているといえます。

肉に小麦粉をまぶして煮るのは、西洋のビーフシチューなどと同じ手法で、他の地域の郷土料理には見当たらず加賀料理独特のものです。

一人用の小鯛唐蒸し、治部煮

一人用の小鯛唐蒸し、治部煮

江戸時代の献立には、地元で手に入る食材はもちろんのこと、北海道の昆布や棒鱈、キンコ(干しなまこ)、岐阜県の岩茸、おそらくは長崎から輸入されたであろうツバメの巣やフカヒレの記載までもあります。

 かくのごとく、海からやってきた文化、宮廷文化、武家文化、南蛮文化と多くの文化の影響を受け、料理法を、食材を取り入れ、作り変えて、絶妙のハーモニーを醸し出し独自の世界を作り上げてきたのが加賀料理なのです。

 短絡的に地元の新鮮な食材だけで料理した郷土料理が加賀料理と考えている最近の風潮は大きな間違いなのです。日本中から、世界中から美味しい食材を集め、数々の文化、料理法を触媒として作り上げてきた加賀料理を、そのように規定するのは加賀料理の進化を否定するものなのです。

新しい世界を、新しい味を従来のものから 「作り変える」 融通無碍さ、これこそが加賀料理の真髄なのです。

■ 金沢に魅せられる

 そしてどうしても特記しておかなければいけないのが、加賀料理のレベルの高さ・技術の発展を支えている多くの料理人たちの存在です。
豊富で新鮮な食材を使いこなす技量も食文化のひとつです。和食の本場といえる京都をはじめ、全国からわざわざ修行に来る人もいるほど、金沢の料亭の高いレベルは広く知られています。

  美食家・芸術家として著名な北大路魯山人も、金沢の料亭に魅了された一人でした。彼は 32 歳のころ金沢の商家の主人・細野燕台のところに食客として招かれており、金沢の料亭・山乃尾に連れていかれました。料亭の料理やその空間に衝撃を受けた魯山人は足しげく通い、主人から料理の味付けや盛り付け、器との調和、客のもてなしなどを学んだといわれています。

美食家としての魯山人のルーツは金沢の料亭にあるといってもよいのではないでしょうか。

「器は料理の着物」 といったのは魯山人ですが、日本人にとって料理とは、舌で味わい、そして目で味わうものです。料理は器によってその美味しさを際立たせ、器もまた料理が盛られることで真価を発揮します。

 料理と器の絶妙のマッチング。それを可能にしたのは、石川が古くから育んできた食文化と石川ならではの数々の魅力的な伝統工芸です。優美な蒔絵を施した輪島塗や色鮮やかな九谷焼きなどはこの地ならではのものであり、料理と器の一体感が 「加賀料理」 の特徴でもあるのです。

じゅんさい池収穫

食材の旅 じゅんさいは水の精霊

松本社長の開発・食材ストーリー じゅんさい編

じゅんさいは万葉の時代から知られた食材です

株式会社松本では、生産者や収穫者と直接コミュニケーションをとり、安心・安全で質の高い食材の確保を行っております。

~ 松本社長の食材の旅 ~

シリーズの4回目は、夏の食材としてはずせない じゅんさい の物語です。

  ここ2・3年石川県では奥能登・珠洲のじゅんさい (一般的に料理の献立では 順才 と表記します) が出回るようになって来ました。

かっては金沢市郊外の卯辰山でも生育していたじゅんさいも、今や4都県で絶滅、21県で絶滅または準絶滅危惧種となり (「日本のレッドデータ検索システム」2007) 石川県では絶滅危惧II類に分類され、全滅したのではないかといわれていたのですが、復活してきたように思われます。

腰が痛いじゅんさいの収穫リー じゅんさい編

腰が痛いじゅんさいの収穫

いままで奥能登にじゅんさいが採れたなんて聞いたことがなかったのに突然、降って沸いたかのような話なのです。いままで誰も見向きもせず、食用に出来るのも知らず、放置されていただけなのでしようか。天然の沼に産するのか、あるいは作られているのか?それもよく分からない状態です。

そこであらゆるツテを頼って、まずはどんなところで生存しているのか、あるいは育てられているのかを確かめるべく、同じ石川県県内ですので車でス~ッと行って見学させてもらうことにしました。と、いっても金沢から2時間強かかる道のりです。

■ じゅんさいといっても普通の人はわからないので簡単な説明をおこなうと

じゅんさいは世界に広く分布している植物ですが、食用にしているのは中国と日本くらいで、日本では古くから食用として古事記や万葉集などに 「 奴那波・沼縄 (ヌナハ、あるいはヌナワ)」と記載されています。江戸時代中期の 『農業全書』 でも、山野菜の一つに挙げられ、栽培方法についても触れられています。

じゅんさい採りの1コマ

じゅんさい採りの1コマ

スイレンなどと同じように葉を水面に浮かべる水草で、澄んだ淡水の池のみに自生し、水面下の茎の頂部から出たヌメリを含む若葉と茎を食用とします。ヌメリやアンコと呼ばれるゼリー状の粘液は栄養的価値は低いのですが、ビタミンBが豊富で、そのものの自体の味を楽しむというより、食感、歯触りとのどごしの良さを楽しむ食材なので、吸い物や三杯酢、わさび酢、わさび醤油などの酢の物に使われます。

全国の生産量の90%が秋田県で、かの地では木舟を浮かべて 「採り子」 が一人乗り込みがジュンサイを収穫する風景が初夏の風物詩として有名です。

■ 水そのものの味を味合う、じゅんさい

 じゅんさいは、清らかで豊かな水でしか生きる事ができません。実にその96%以上は水。つまりじゅんさいの味は水の味ともいえます。
そしてもし生活排水や農薬・除草剤などが生息沼に流入すると 味が濁ってくるのはもちろん、じゅんさいは枯れてしまいますので、まさに、じゅんさいは水資源と流域の環境バロメーターともいえます。

じゅんさい摘み

じゅんさい摘み

じゅんさいは自身が持つヌメリの量こそがその価値であり、身上です。ヌメリがなければ、ただの葉っぱとなってしまいます。つまり新芽や葉が大きいほどヌメリが分散し薄くなってしまい、それは大きく価値を下げてしまうのです。

奥能登の天然じゅんさいとして販売されているこの食材は、粒は大きいのですが、その割りにヌメリの部分が大きいのです。もしもそのなかから Sサイズ、もしくは Tサイズを選別できれば十分商品力があり、当社の基準にあい、販売するレベルにあると判断したのです。

■ 季節を追いかけ日本を縦断していた時代から環境を守る時代に

 普段、私どもが取り扱うのは、葉が開く前の蕾のような芽の部分と茎、花のつぼみを手作業で摘み取ったものです。これを一粒一粒手作業で太い茎の部分をカットし排除し、たっぷりのヌメりに覆われた1cmから1.5cmの若芽のみを選び抜いたものです。手間暇掛けて生み出されたものだけが持つ極上の食感をお楽しみいただけると思います。

じゅんさい摘みは重労働

じゅんさい摘みは重労働

 かって当社は、4月の九州産の収穫から始まり、季節を追って兵庫県産から京都府産、青森産、最後は北海道産と産地を移し提供していました。

しかし前出のように近代化の開発と環境悪化のためにその生産量は激減し、絶滅滅危惧種となり、また品質も悪化の一歩をたどってきました。

そこで私どもは全国の生産地の中から安全性と品質を担保し、お客様に自信をもって販売するために産地を限定することにしました。例えば、私たちは青森県の津軽地方に注目し、手付かずの自然がある津軽国定公園のべんせ湿原近くのじゅんさいも仕入ています。

青森産に限りませんが当社が取り扱う秋田産でも若芽の周りについたヌルとかヌメリやアンコと呼ぶ寒天状の粘液質がほかより豊富で厚く、食感と味が違うと高評価を受けております。

何度も繰り返しますが、品質の良し悪しは、小さなつぼみ若葉についているヌメリの量と味、ヌメリが多ければ多いほど食感がよくなり、味はすなわちヌメリの味、育った水の味ということになります。

日本中から良い食材を集め、使い捨てた時代から、よい味を守り続けるためには、環境を守ることが唯一の道の時代になったのです。

■ かって日本一の評価をうけた京都の深泥池産 魯山人はかく語る

 古くからじゅんさいの最高級品は京都の洛北・深泥池(みどろがいけ)産とされてきました。

一面のじゅんさい

一面のじゅんさい

しかし私が学生時代にはもはや、その水質は悪化して、まさにその名のとおり深い泥の池と化し、とても食べれる物がある場所とは思えず、産地の名前だけが記録として残っている状態でした。

 美食家として名を馳せた芸術家の 北大路魯山人は昭和7年に上梓された「魯山人味道」の「洛北深泥池の蓴菜」の中でじゅんさいについて以下のように述べています。

 じゅんさいというものは、古池に生ずる一種の藻草の新芽である。
その新芽がちょうど蓮の巻葉のように細く巻かれた、ようよう長さ五分くらいのものを賞玩するのである。その針のように細く巻かれた萌芽を擁護しているものが、無色透明の、弾力のある、ところてんのような、玉子の白味のような付着物である。

 (中略)

 これを水中で見ると、そのかわいい芽が水色の胞衣に包まれている。
それは造化の神の教えによって分泌する粘液体である。このぬめぬめの粘液体が厚くじゅんさいの新芽に付着しているために、じゅんさいは美食としての価値がある。

この粘液体がなかったら、じゅんさいは別段に美味いものではない。だから、この価値は粘液体の量の多少によって決まる。ところが池沼によって、このところてん袋が非常に多く付着するものと少ないものとある。

 (中略)

 そこで、どこのじゅんさいが一番よいかと言うと、京の洛北深泥池みぞろがいけの産が飛切りである。

これは特別な優品で、他に類例を見ないくらい無色透明なところてん袋が多く付着している。
この深泥池のものを壜に詰めて見ると、玉露のような針状態の細い葉が、その軸の元に小さな蕾をつけて、点々と水にまざって浮いているように見える。

 眺めるものは正味のじゅんさいが少なくて、水中に浮遊しているようではあるが、壜中、水に見えるものが、すなわち粘液体であって、出して見ると海月くらげの幼児の群れのようにぬめるが、水分はほとんどないと言ってよいくらいである。
そういうものでなくては、ほんとうに美味いものではない。

自分の知っているかぎり、深泥池に産するようなものは余所よそにはないようだ。  ・・・・・ (後略)

   (昭和七年・「魯山人味道」中公文庫、中央公論社 より)

 現在、この深泥池全体が天然記念物深泥池水生植物群落に指定され、少しずつですがかつての自然の姿に戻りつつあるといいます。

まだ残念ながら水質及び環境の悪化でじゅんさいを採取し、食すことは出来はませんが、環境改善によって植生の復活が見込まれているようですから、遠くない将来、再び味わえる日が来るかもしれません。

初猟や深泥ケ池に道をとり       山口誓子

蓴生ふ池の水(み)かさや春の雨    蕪村

浮き島の位置見失う蓴菜舟       桶本詩葉

見一つを入るる盥(たらい)に蓴採る  鈴鹿野風呂

葉隠に蛇の子がゆく深泥池       惟之

■ 奥能登のじゅんさいに出会う

 さて話は戻って奥能登のじゅんさいです。
ツテをたよって出荷者のA氏にお会いしました。

じゅんさい畑01

じゅんさい畑01

顔写真などはNGといわれたので、仮名にさせてもらいました。去年、金沢の業者さんがホームページで紹介したため、てんやわんやになって迷惑だったというのがその意でした。
農家さんや漁師さんなども一家言を持っている人ほど、この手の話をよく聞きますが、自分の仕事に集中したいという使命感の発露がその真意でしょう。

奥能登のじゅんさいアップ

奥能登のじゅんさいアップ

池か沼で採取しているのですか?

とお聞きしたところ、田んぼで米を作らなくなったので休耕田を利用してじゅんさいを栽培している。試しに市場に出荷したら案外と好評で自分自身で驚いているのですよ。ゴルフが好きなので何回分かのプレー代が出れば、それで十分なのですがね。

天然という評価は、農薬も肥料もやっていないからですが、それが独り立ちして勝手に走っている状態なので本人としてはかえって迷惑している。とのことでした。

じゅんさいを採ってもらう

じゅんさいを採ってもらう

 栽培現場を見せてくれるというので能登半島の先端・軍艦島として有名な見附島の近くの珠洲から深い山の中に入っていきます。日本で初めて世界農業遺産に認定された、輪島の近くの小さい田が海まで迫る千枚田のまさに逆で、山頂近くまで小さな田が迫ります。近くまでは車で行けるのですが、何度か下に落ちそうになるくらいの道を上り下りしたところに、その地がありました。

■ 手間ひまをかけて特選品を出荷しませんか!

 山水(やまみず)を取り入れてかっての田んぼで遊びで鯉を飼っていたのを、2年前からこれまた遊びでじゅんさいを栽培してみたと、笑って話をされます。遊びといいながら農業試験所に相談したり、秋田までじゅんさいの栽培を習いに行ったりと本気度は全開です。

じゅんさいと一緒に

じゅんさいと一緒に

ゴム長をはいて現物を見せていただきましたが、そのヌメリ・アンコの付き方は、採ってすぐのこともありますが、いいつき方をしています。但し摘み取りの時期が遅いため大きく育ちすぎています。大きくなる前に摘み取ってくれれば品質が上がります。

しかし次から次へと摘み取っていけば、次から次へと新芽は出てきますが、自分の見るところ収穫量は年間で100K超~200K位でしようか。

 青森や秋田でもそうですが、大きいものは地元消費や自家消費、中位のものは青果市場に出荷し、選別に選別を繰り返しヌメリを多くもち小さいものだけを特選品として我々のマーケットに出荷します。その量は全体量の5~7%と聞いています。

私のために朝のうちに採取した総量を確認しましたが、いまの摘み取りのやり方では、やはり5%程度でしょうか。当然ながら手間がかかる分、買取料は高く設定してその労力に応えさせてもらうのですが、買い取り値段は十分にありがたいことですが、仕組み的にうちで出来るのかしらと思案げです。

山の中です

山の中です

大きな産地と同じように何件かの農家が集まって、共同の作業をすることによりマスメリットを享受し、品質の安定はからないといけないのかもしれません。また山水だけでは、真夏に水不足になる可能性や水質悪化の恐れも考えられるのできれいな水源の確保も必要となります。

当社の基準をクリアーするには仕組み、その他で、ひとっ飛びには出来ませんが、まずは当社基準の大きさとヌメリの量を確認してもらうために、当社の現物を見てもらうことにして、またの再開を誓い合いました。

じゅんさいの花

じゅんさいの花

 

がんばれ! 奥能登のじゅんさい!

  2015年 5月25日 訪問